2006年12月30日 (土)

今更ながら、「Web進化論」

2006年を代表する本として、評判だった梅田望夫著「ウェブ進化論」(ちくま新書)を読む。

元々、ITバブルの崩壊なんかでIT革命の威力が衰えるわけないと思っていたし、シリコンバレーの起業文化に魅かれていたし、その背後にはヒッピー文化、カウンターカルチャーがあり、オープンソースにしろ、インターネットにしろ、巨大な民主化へのドライブがある、と思っていたし、BRIC’Sや東アジア経済圏に惹かれるのも、これらの地域の若者が皆英語を使いこなし、一斉にインターネット経由で情報共有を行いつつある動きに日々触れていることもあるので、最新のウェブの進化にはやはりワクワクしてまう。

時折、著者の梅田氏は、日本のテクノロジー企業のエスタブリッシュメントに対する「苛立ち」というか、「失望」を口にするが、私もさんざんこれらを見聞きしてきて、遂にこれらの人々に期待するのを諦めた口なので、こうした人々は無視することをお奨めする。もちろん、アメリカにだってこうしたエスタブリッシュメントはいっぱいいて、最高にハードコアな人も含まれ、本書で出てくるようなニコラス・カー氏くらい筋金入りだと(189頁)、逆に、「ほうっ」となるのだが・・・。 

日本におけるWeb2.0辺りの理解者の筆頭が、野口悠紀雄氏だと思うが、最新のascii(何だか知らぬ間に面白くなったねえ)では、「日本は”フラット化”にまったく遅れており、絶望的」的なことを仰っていて、納得。ちなみに、フラット化は冷戦崩壊後の政治経済状況(BRIC’S他の勃興)と進化するIT革命によるグローバルな変化のことを指しており、いうまでもないが、トーマス・フリードマン「フラット化する世界」が記述する状況のこと。

本書(ウェブ進化論のこと)でのキーセンテンスは、「こちら側のコンピューティング処理よりも、あちら側の情報発電所(Information Power House)」だと思う。あちら側にいけるか、というのが、Web2.0に移行できるかどうか、ということだ。これを推進するのが、世界一の企業になりつつあるGoogleだが、Amazon.comまでが「ネット上のサービスにおけるAPI」(名前はまだない?)を公開して、Web2.0企業に進化してた。プログラマーでない私としては、誰か連れてこないと実現できない世界。

後半は、Web2.0が導く「総表現化社会」(といっても、20分の一の社会層の人々くらい。まあ、ブログを主体的に書く層とでも言いましょうか)と呼ぶ社会論になるのだが、単なるテクノロジー論を超越した社会論にパースぺクティブが及ぶところが、本書を圧巻たらしめているところで、これはねえ・・・・、パソコンが出た時も、インターネットが普及し始めた時も語られていた思想で、私もず~っと夢想していた世界。ブロードバンドで驚いてたらいけなくて、いよいよ世界もここまで来たか、感慨。

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2006年10月 9日 (月)

Book Review: 「世界共和国へ」(柄谷行人著;岩波新書)

久し振りに柄谷行人を読む。スリリングだ。世界が思想的に退潮しているかに思える昨今、まだまだ人類は進むべき道がある:

闘い続ける柄谷氏の思考。国家社会主義者がほぼ地上から消えつつある今、そもそもマルクスの社会主義は「リバタリアン社会主義」(チョムスキー)、「アソシエーション」(プルードン)であり、それこそが人類の緊急課題(戦争、環境破壊、経済格差等)を解決する道であると説く論考は、相変わらず根源的だ。これまで断片的に語られてきた論考が新書という形をとって、一気通慣のパースペクティブを与えられる。読者は「新しい世界史」に遭遇するスリルを味わうだろう。
アソシエーション(グローバル・コミュニティ=協同組合連合体)は、ディジタル情報革命による国家の解体という想像も掻き立てるが、著者は「下から」の運動に加え、「上から」の運動、すなわち”国家を封じ込める”必要を説く。それは、憲法9条に書き込まれた世界平和の理念、つまりカントの世界共和国と方向を一つにする。
お楽しみは氏の他の著作をあたるとして、本書では、「資本=ネーション=ステート」の強固な根拠を学習するとしよう。“たんにそれらを否定するだけでは、結果的に資本や国家の現実性を承認するほかなくなり、「理念」を嘲笑するに至る”だけだから。ポストモダンのアイロニーから抜け出し、統制的理念を蘇らせ、生きる為の指南書。

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2006年1月22日 (日)

livedoorの時価総額経営を支持する

マスメディアは何が違法だったかもよくわからないままに、livedoorの高株価政策そのものの批判の大合唱になっているようで、気持ちが悪い。特に、団塊の世代以上の人間のコメントは、全く今の資本主義経営を理解しておらず、絶望的だ。国際市場に飛び出してみれば、そこはジャングルの掟の世界であり、攻めるにせよ、守るにせよ、株式市場のことを深く理解していなければ、戦えないのは明らかだ。livedoorの何が罪なのかをはっきりとせず、高株価経営自体を「拝金主義」などと批判するのは、全くもって愚かではないか。

日本では本当に権力に弱く、これだけ権力の腐敗を見ながら、東京地検が捜索に入っただけで一気に批判になびくのは、何と情けない。今回は、「今の権力」である小泉一派とは全く違う、というよりこれに批判的な保守ラインがバックにいるような気がして、仕方ない。読売も、産経も、散々苦汁を飲まされてきたとはいえ、ここまで露骨にやるかね~。

もちろん、高株価経営が必ずしもいいとはいえない。株式を上場していない優れた企業は沢山ある。すべては、会社組織の理念、ビジョン、戦略次第なのだ。だが、会社のシステムに自信を持ち、成長・拡大路線を一度進んだ企業は株式上場を行う(IPO)というのが、基本形だとすれば、株式市場という「世間」から一定以上の評価を得るべく経営するというのは当然の話だ。livedoorのやり方は日本企業としては大胆で、株式市場の内在的な歪みを利用してきたことは否めないだろう。だが、株式市場は長期的には企業価値を近似するのも確かで、livedoorは短期的な買収やニュースを連発せざるを得ない状況に追い込まれていたとはいえ、そんなものは長期的には妥当な評価に落着かざるを得ないのだ。だから、livedoorの経営など大の大人が批判するようなことではなく、見えざる神の手=市場に任せるべきなのだ。

livedoorの善悪は、きちんと司法で判断すべきで(この司法がまた信頼できないのだが)、恥をさらし続ける東証の方こそ、糾弾、改善すべきだろう。 いずれにしろ、現代経営の「基本フレームワーク」たる高株価経営・時価総額経営を、それだけで批判するという人たちの無知に対抗して、敢えて積極的に支持したい。

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2006年1月17日 (火)

ヒューザーとライブドアの扱いに、日本社会の絶望を感じる

ヒューザーは今の段階であそこまで社会から叩かれないといけないのか? もちろん、彼らが「偽装」を知っていた上での安売りであったことが立証されているなら、叩かれていいだろうが・・・・。第一義的に悪いのは、明らかに偽装を行い、プロとしての絶対守るべき倫理を欠いた姉歯であり、イー・ホームズでしょ? 間接的に圧力を与えた木村建設なんかは、かなり濃いグレー。 購入者からすれば、ヒューザーに対して、全面的に攻撃するのは判るのだが、社会全体で、まだ立証された訳でないヒューザーをここまでパージしてしまうのは、明らかに行き過ぎのように思う。 いや、日本ではいつも見ている光景なのだが・・・・。あの目立ちたがりの社長に一抹の同情。

かと思えば、ライブドアに強制捜査が入ったそうな。しかも、風説の流布とか、かなり「言い掛かり」に近い理由。 東京地検はちゃんと立件できるだけの証拠を掴んでいるんだろうな? でなければ、こんなブッシュがイラクを攻め込んだような茶番許される訳ない。どうにもフジテレビ・ニッポン放送の憾みから、政治が手を回したとしか思えん。 

本当に、益々倫理を失う日本社会。 また、まともな解説のひとつもできないばかりか、リンチに手を貸すマスコミの体たらく。 この程度の出る杭を打つのもいい加減にして欲しい。 続報と正義を待つ。リベラル派と言われる人たちはいなくなったのかね、ったく。

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2005年12月17日 (土)

コースキャスティング、P2P、ブラックベリー

チャン・ツィーが表紙のNewsweek日本版12.14号に触発されて・・・;

iPodがアイビーリーグで「採用」され始めた。その名は「コースキャスティング」。講義をiPodでデジタル配信、生徒は教室に行かなくても教授の講義が聴けるようになって、という訳。教室に行かないことは「大人たち」から批判もあるようだが、教室はもちろん、議論の為にある。それがライブで、生の人間が集まることの意味だ。教授に退屈な講義を許すような甘やかしをしては、生徒の金が死ぬ。スタンフォード、パデュー、デュークと一流大学で増えている。インターネット、ウィンドウズ、と大学教育はここ10年大きく変貌を遂げ、過去100年の歴史を超える進歩があったが、コースキャスティングは更に革命を進める。

日の出の勢いのスカイプが、eBayに買収されることになったが、創業者のセンストロムとフリースは、そのまま経営と開発にあたり、むしろeBayのサポートを受けて、スカイプ普及が加速しそうだ。この二人、実は以前にもファイル交換ソフトの「カザー」をヒットさせており、これは2発目。記事のテーマは途中で、「連続起業家」の話となり、R.ブランソンやS.ジョブズ、それから第3代大統領ベンジャミン・フランクリンまで出てくる。 この記事で知ったことは多いのだが、例えば、やはり創業者の二人は北欧(センストロムはスウェーデン、フリースはデンマーク)だったこと。スカイプの創業の地ルクセンブルクは、スカイプに投資したベンチャー・キャピタルがある場所だったこと。それから、今はロンドンでエストニアのエンジニアを使い仕事をしているらしい。エストニアのテクノおたく達っていうのが、何だか格好いい。旧ソ連のロケット・サイエンティストは、金融界やデジタル業界で活躍しているが、雰囲気がやばくて優秀、という感じがハードでいい。 カザーとスカイプは実は共に、ピア・トゥー・ピア(P2P)の技術を音楽ファイルと、音声通話に応用したもの。P2Pは、マスター=スレイブ、クライアント=サーバーを超える21世紀の「関係性」だ。

リサーチ・イン・モーションのブラック・ベリーが特許係争に巻き込まれているが、それだけブラック・ベリー普及の勢いが凄い。アメリカのビジネスピープルは「皆」持っている、と言っても過言でない程らしい(シェア44%だから、やや過言か)。あの手のごついアメリカ人が小さなキーボードをちょこちょこ叩いているのだから、判らないものだ。ただ、このPDA市場は、栄枯盛衰が激しい。市場2位のパーム・トレオの新製品に加え、従来スマートフォンを手掛けていたモトローラ、ノキアも参入。日本市場のPDA低迷に反して、欧米では更に活性化の兆し。ところで、日本でも、ノキア6330、モトローラM1000、に加え、国産の雄:シャープがX-ZERO3を今週Willcomからリリース。話題を振りまいているようではあるが・・・・。 

他にも、サムスンのスキャンダル、バンガロールのインフラ危機など、なぜだか興味深いデジタル業界の話題が満載。「SAYURI」によって再びニッポンを誤訳するハリウッド、という第一特集を食って余りある内容だったのでした。

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2005年12月 6日 (火)

Book Review:「会社のしくみは変えられますか?」(鈴木貴博著/ダイヤモンド社)

「会社の業績は向上したけれど、会社が良くなった気がしない」。そういう人、多くありませんか?、という惹起に魅かれて購入。全般的に現代の企業経営環境がよく咀嚼されて、洗練された叙述だと思う。発見も多い。

例えば、第一章「構造」では“大企業であることが有利な構造が崩壊した”として、IT革命による取引コストのドラスティックな低減を挙げている。IT系を初めとするスタートアップ企業が大企業に伍して戦える環境がとっくに整っている訳だ。また、シスコ・システムズにおいて、R&DがA&D(買収開発)へシフトした、との指摘は的を得ていると思う。シスコは、ITベースの経営プラットフォームに、買収したR&D型スタートアップを組み込んで成長した企業だ。つまりR&D費のアウトソーシング化。

第四章「発注力」では、トレンドセッター&コストカッターを両立するアップル・コンピューターが、第五章「副作用」では、TOCのボトルネックマネジメントが、というように、扱われるテーマは現代経営に欠かせないものばかりだ。

冒頭の「 」にあるように、伝統的な日本の大企業は世界的な好況のお蔭で業績の一服感があるが、今の間に“21世紀経営への環境適応”を果たして欲しいものだ。

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2005年11月26日 (土)

目立たないで、密かに儲けること。あるいはブルーオーシャン

先日、とある中堅企業の取締役に会った。この会社は知られざる業界一位企業で、グループ売上高が200億円近くあり、儲かっているハズなのだが、財務諸表を公開していないので正確にはわからない・・・。聞くと、敢えて目立たないようにしているとのこと。だから、社名も平凡、宣伝も全くしない、臨時ボーナス出ても緘口令、株式公開する予定もないという具合。

昨今は、楽天、ライブドアに代表される「目立った方が得!」資本主義が主流になってきた気がしていただけに、新鮮であった。目立った方が得、は優れて株式市場を意識したものであり、これによって高株価を利用したマルチプルを利かせることができる。ただし、絶えずニュースをリリースしなければならず、経営者にとってはこれもきつい話だ。

また、公開企業であれば、通常は戦略や新製品情報もある程度オープンにし、顧客や投資家にアピールするし、情報公開は公開企業の義務でもある。だが、時に競合相手や潜在的参入企業を刺激することも確かであろう。従って、株式のマルチプルを使う気がなければ、公開する必要も必ずしもないわけだし、戦略的方向性を秘匿にすることにも、それも“ひとつの戦略”と言っていいだろう。競争激しい市場で戦うのではなく、競争を避けて、目立たないところで“何気に”儲ける、というのは優れた戦略だと思う。昨今は、「ブルー・オーシャン戦略」というアイデアも話題を呼んでいることだし。

ただし、幾ら非公開のオーナー企業とはいえ、社会的存在であるに違いはなく、社会的責任は疎かにはできない。往々にして、コンプライアンス意識が低かったりするが、株主からの規律が働きにくいだけに、より一層ガバナンスを利かせる必要があるのではないだろうか。

冒頭の企業は、更に国内シェアの向上に加え、海外事業の安定化を図っている様子。大企業の道を歩む時、いつかオーナーの私的所有物から離れ、社会の公器としての仕組みを備え、責任をより果たさなければならなくなるかもしれない。株式公開が単に資金調達の意味を持つ以上の意味を持ち、経済社会で一人前と認められるステップだとすれば、いつかこの企業も株式公開が課題になってくるのかもしれない。今は全く考えていないみたいだったけれどね。

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2005年11月23日 (水)

大東亜戦争と日本の指導者に思うこと

昔の同僚達と久し振りに「歴史シンポジウムの会」を開いた。テーマは、「~の歴史」とか、歴史にまつわる事なら何でもいいのだが、今回はH君が選んだ東京裁判に関してであった。昔話もしながらの「飲み会」の延長なので、時々一番言いたかったことが言えないで終わることも。今回言いたかったことは、....

アメリカの原爆は人道的犯罪であるとか、中国人も酷いことをしたとか、言いたいことは色々あります。特に、アメリカは許さない、という気持ちは強い。以前、アメリカ人と原爆の是非について議論したことがあるが、奴らは”戦争を早く終結する為に、使ってよかったのだ”と教科書に書いてあることを、そのまま信じていて最後まで噛み合わなかった。まあ、自国の祖先がやった「犯罪」を直視するなんて辛いことだからね、すぐにはどうしようもない。

でもね、「東京裁判」にしろ、既に認めてしまっている訳で、どうしようもない。後は、歴史が判断してくれるだけ。 それに、相手がどれだけ悪どくても、こちらが先に手を出したようなケースを考えると、相手がクレームつけている時に、言われている者自身が、お前だって色々やったよな・・・・、と言った途端に「反省してない」的な見方を第三者にも植え付けてしまう訳だよね。だから、明らかに自分達の非があったことに関しては、あまり反論できない、という気がするのだ。 喧嘩の成敗は、中立的な立場に委ねるしかないと思う。

問題にすべきは、戦後のわが国の外交であって、あれだけ賠償もしながら、まだこんなに中韓に文句を言わせるとは一体なんだ! なんで黙らせることを考えなかったのか。 なんで、天安門以後の反日教育を防げなかったのか。 シャンパン外交ばかりにうつつを抜かした外交官たち、そっちの方が問題だ。

「A級戦犯」に関して言えば、彼らは、「国体」、つまり天皇が守られるなら、とむしろ喜んでなくなった人も多かったろう(全員ではないが)。なにせ、東条を筆頭に、陛下の忠臣であることがすなわち生きることだった人たちなのだから。 問題なのは、国民を守る、つまり「引き時」を全く考えることなくあれだけ戦線を拡大(戦死の最も多いパターンは、餓死だよ・・・!)し、またトルーマンの趣味でしかなかった「無条件降伏」などを受け入れた点だ。 特に、外地(満州、朝鮮半島等)にいる国民のことをほったらかしにし、思考停止に陥ったことは、最大の犯罪ではないいのか、とさえ思う。
戦後に起こった「シベリア抑留」や、満州・朝鮮半島でロシア人に陵辱された人々を思う時、「無条件降伏」、「玉音放送」など、敗戦に悪酔いし、最後まで粘り強く交渉しようなどとは思いもよらなかった奴らは罪万死に値する、と思うのだ。 

戦後も、こうした政治的白痴化は、ますます助長され、それは経済界ですら、ご他聞に漏れないのではないだろうか。(政治は外交始め、言うまでもなく)。 愛する者(家族でも、従業員でも)を守る為には、侵略しようとする者と、あらゆる知恵(諜報)を使って闘わねばならないんじゃないだろうか。 その為に、人間力、技術を磨かないといかんのでは、と思うわけです。大東亜戦争を思う時、私にとっては、日本の指導者の弱さ、頭の悪さ、ばかりであり、それは今日まで失望し続けている。 もちろん、指導者を選ぶ国民のレベル、も大事だ(本当に選挙結果には、まま呆れる)。 
あの欧米植民地主義者や、あるいは中国人のしたたかさと、正面から、裏面から、もっとしっかり闘い、守るだけの実力を備えて欲しいと思うのだ(なんだ、六カ国協議は!)。 (了)

ビジネスとは直接関係ないとはいえ、国際的な関係が増えると、こうしたスタンスは人間関係を築く上で重要だったりするので、敢えて今日は歴史の話でした。

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2005年11月20日 (日)

起業せよ。

東洋経済11/19号は、「2010年の最強企業」と題して5年後のビジネスを特集しているが、「起業活動指数」とう聞きなれない指数が目に留まった。これは、成人人口のうちベンチャー企業(Startups)及び起業活動に係わっている人口の割合を表す指数、らしい。かなり定義が難しいと思うが、結果は日本は欧米にかなり見劣る数値(日本は、1.5)。

1.ニュージーランド: 14+

2.アイスランド: 13+

3.オーストラリア: 13+

4.アメリカ合衆国: 11+

5.カナダ: 9

6.ポーランド: 8+

以下、EU諸国が並ぶ。アジアの各国は出てこないので、日本との比較はできない。だが、韓国は97年の経済危機以来、ベンチャーを興す若者が急増しているし、中華系(香港、台湾、シンガポール)の若者と話していても、起業に対する意識が強いと思う。日本でも、もちろん、そういった層は存在するのだが、全体的にいうと“つまらない”官僚的な人間がまだまだ多いと感じる。だから、本調査結果は納得だ。

オーストラリアに留学中は、街の人々の「マイ・ビジネス」に対する意識が強いことが印象的だ。街のちょっとした商店やレストランで店の人たちと会話しているだけで、感じるのだ。MBAのビジネス・プランを一緒にやったタイ人は、実際にタイ・レストランを成功させており、「いい生活」してたな・・・。勉強は大したことないんだけどね。想像するに、ニュージーランドでも同じ雰囲気があるに違いない。

やはり市民社会が、政府からお金を補助してもらうことに汲々とするのではなく、自ら切り拓く人々、思い切って起業する人々を賞賛するような文化が必要なのだと思う。そうした中から次代の孫正義、三木谷、堀江、・・・・、となる若者が出てくるだろう。

社会がどうであろうが、抜き出るこうしたタレントに頼らず、社会として次々と起業が産み出されるシステムが必要なのだと思う。つまり、教育が問題なのだ。 

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2005年11月19日 (土)

哀愁のホテル・フジタ京都

藤田観光が京都の老舗ホテル、「ホテル・フジタ京都」を売却する方針を決めたそうだ。一種独特の渋さがあり、三条を上がった鴨川沿いの便利なロケーションにあったホテルだけに、残念だが、時代の流れは止むを得まい。

実は、しばらく京都に行っていないな、と今年は久し振りに京都の秋を感じに行こうと思い、ここ数ヶ月ガイドブックを買って眺めていたのだ。四季折々の京の古刹や、伝統を現代的に意匠変えしたお店などは、相変わらず「いいな」と思うのだが、ひとつ気付いたことがある。それは、京のホテルの貧しさだ。一昔前までの内装やベッド周りがほとんどなのだ。

これは、おそらく東京のホテルの水準が、ここ十年で格段にアップした印象が強過ぎるせいでもある。ウェスティン、フォーシーズンズ(椿山荘の方は、藤田観光!)、パーク・ハイヤットの新御三家(死語?)を初め、インターコンチネンタル、グランド・ハイヤットと世界レベルのシティ・ホテルが名声を博し、コンラッド、マリオット、マンダリン・オリエンタル、そしてリッツ・カールトン、と外資系の進出が続き、対抗するかのように、ロイヤル・パーク、フランクス、プリンス、パークホテル等々国内のホテルも21世紀のホテルに変わりつつある。充実の一途の東京に比べ、京都はあまりにも新規参入が少ないのかもしれない。都ホテルがウェスティンの看板を借りているみたいだが、それだけではね・・・・。

京に泊まるなら、旅館、という選択肢も当然あるだろう。寺町通りの一流旅館や、祇園・石塀小路、嵐山、と幾つもあるし、風情も格段に違う。吉田山荘なんてのも贅沢でいいやね。でもね・・・・、京の旅館は仕来りが厳しいよ。時間を守らないと何言われるかわからない緊張感がある。それから、夕食は外で、京の割烹や懐石で摂りたい、という人には、ホテルの方が都合がいい、ということもある。

京都のホテルの現代化を。京都を愛する者としては、切に思う。

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2005年11月 6日 (日)

MBAを超えて

改めてMBAに関する考えを述べてみたい。

MBAに対する信頼感は、あまり衰えることがないように思う。巷間で取り上げられるのは、米国のトップ20、欧州のトップ・スクールであることが多い。ただし、MBAと呼ばれる学位は米国だけでも、確か400校程度は下らず、私が留学した豪州ですら200近くもあったと思う。アジア諸国でも非常にポピュラーになりつつある。つまり「そこら辺」の大学でもMBAを与えることは多く、単にMBAというだけではさして驚く程ではない。

アマゾンで米国トップスクールのテキストを見ると判るのだが、使用テキストもこれらをそのまま用いることも多いので、学ぶ内容自体はさして変わりはないと思う、トップスクールであっても、「そこら辺り」の学校であっても。言うまでもなく、教授と学生の質が異なり、難易度が異なることから、名のあるトップスクールの価値が担保されているのだろう。名のある訳ではない学校のMBAが価値が低いかというと、そんなことはないと思う。単位を取得する為の苦労は並々ならないし、MBAというのは学ぶプロセスがかなりの程度共通化されているので、トップスクールと変わらない体験ができるように思うのだ。要は、本人の学ぶことに対する「深さ」がものをいう。

それとて飽くまで学校にいる間のことであり、MBAを取得して、実業の世界で如何にビジネスのプロとして自律できるか、ということの方がより重要である。そもそもMBAとは、ビジネスの基礎科目でしかあり得ない。せいぜいが一流のビジネスマンの為の必要条件となるスキルや知識を与えてくれるものでしかない。知識にせよ、MBAで表面をなぞった位では全く使い物にならないことも多い。

MBAをとりあえず取得した後の自己研鑽のあり方、経営知識の持続的学習、キャリアの構成の仕方、が問われるのだと思う。加えて、真のリーダーたる為には、内なる動機と、組織の中での実践、の二つが調和されていなければなるまい。

以下は、MIT、ハーバードで学び、ロンドン大学、INSEADで教鞭に立ち、現在ISLという組織で経営リーダーの教育活動をしている野田智義氏の言葉からの引用である;

“日本の経営エリートの欠陥として、MBA的な思考がとれない、と述べました。
MBA教育は、グローバルビジネスマンの読み書きソロバンというべきツールとスキルの修得の為には、一つの完成された洗練された教育アプローチです。その限りにおいて、きわめて必要かつ有効だと思います。しかしながら、スキルや思考におけるギャップを埋めることは重要であっても、それだけでは決して十分ではない。ツールとスキルの修得は、自分の行動の道筋をより正確な制度で予想できることを可能し、自己変革への勇気をある程度は与えてくれるでしょう。しかしそれを超えて、「自分は何者で、何のために組織の中で働き、自分は何の為に変革行動をとるのか、をわかって実際に行動できる」ようになるには、MBA的な教育は本当に役に立つのでしょうか。必要ではあっても、十分な触媒とはなり得ない。これが私自身の結論です”。(CREO 2002年)

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2005年11月 4日 (金)

福岡vs名古屋

今週は業務で、福岡・名古屋へ出張してきた。それぞれドコモの地域会社本社を抱えているのだ。この2都市、結構似ているところが多くて面白い。

・地域の中心都市であり、それぞれ九州、東海・中部圏の人口を吸収し、一極集中の様相を呈している。

・ターミナル駅が新幹線の駅でもあり、駅周辺が賑やか。

・道路が広く、また街が清潔。

・地下鉄は一応複数路線があるが、街中を移動するには、バス(か、タクシー)が必要。

・地元民が、街に誇りを持っているが、東京と同じような店が多いな。

・食べ物には幾つか有名なものがあり、これを食べよう、と思うものがある。

まあ、日本の第3、第4の都市圏なんだから、似ているのも判るが、欲を言えば個性を強化して欲しいと思うな。やはり、近畿は京都、大阪、神戸、奈良、とそれぞれ敢えて訪れたい個性を湛えているもの。とはいえ、何でもあって、交通便利、出張で泊まるにはとても魅力的な2都市でした。

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2005年10月26日 (水)

Livedoor: タレント資本主義の極北

9月に出版されて、思わず買ってしまったのが、「livedoor? 何だ?この会社」(株式会社ライブドア著)。自社の執行役員(20~30代)や社員をスター経営者のように自ら紹介してしまうこの図々しさは凄い。しかも、幾つかの点で、現代の経営の先端を行っているところも。

しばらく以前から、人材マネジメントの分野では、「タレント獲得競争」と言われ、新しくビジネスを創り出せるハイ・パフォーマーを獲得せよ、と言われてきた。だから、「タレント資本主義」は、決して批判的なタイトルではなく、今の企業はこうでなくっちゃいけないし、ならざるを得ないよ、という意味を込めた。しかし、アメリカにも似たようなスタートアップ企業はあるが、自社の出版部門からこういう本を出したところは寡聞にして聞かないな・・・。

内容も今の先端経営を反映しているところ、多いよ。例えば、「超スピード戦略」にある“検討します”は、タブー、とか。会議では、準備がすべてで、本番は決定があるのみ。「次」はない。いいねえ。 それから、コスト部門を法人化して収益部門になる、これは大企業ではたまに言葉で言う人がいるだけで、Livedoorみたく実践している会社は多くない。オフィスは日本企業特有の「島」が並んでいて、これには幻滅だが、コスト削減に対する意欲は並じゃない(これはちょっとやり過ぎな位)。

Livedoorオールスター、といっても「最近の若者」、が頁を飾り、「偉そうに」自らの経験やポリシーを語る様は、オールド企業からすれば、さぞ???だろうが、堀江ひとりではないこの企業力。当面はLivedoorがニュースを賑わし(タダで、つまりパブリシティ!)、高株価経営というマルチプル空間を遊泳しそうなのは間違いない。

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2005年10月23日 (日)

インド、急落!

6月から右肩上がりで来たインド・ファンドの調整が急激に来た。ここ一週間余りで、一気に20%くらいのダウンか。こんなに一方的に上がり続けることがあるだろうか、というのが正直なところだったから、遂に来たか、という感じ。しかし、ファンダメンタルズや経済環境は悪くないハズなので、調整が済めばまた上昇に転じると思っているのだが、さてどうか。

そもそも投資信託は、個別株式のユニーク・リスクを消し、安定的なパフォーマンスを期待して買う訳だが、ここ3~4ヶ月はまるで個別株式のような展開。まあ、一国のエコノミーが上昇する時はこんなものかもしれないが、嬉しい悲鳴が続いた。配当を来月に控え、年末に掛けては、元の木阿弥になるか、底堅さを見せるか・・・。

配当といえば、ロシア・東欧ファンドは、15%の配当。東欧のEUにおける相対的な優位性とロシアにも波及した原油高で、インドを追いかけるように上昇が続いていたが、配当と共に、こちらも基準価額が一気に下降局面を迎えている。インカム・ゲインを得たところで、キャピタル・ゲインが相殺されるかのように・・・・。 

世界経済は、21世紀になって、一斉にテイクオフしたことは前にも述べたが、投資するならやはり先物買い。来月には、ベトナム、タイの投資セミナーに行って来ようと思っている。

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2005年10月16日 (日)

村上ファンド、あるいは株主からの規律

ここ数日は村上ファンドの村上氏が珍しくTVに出て発言しており、なかなか面白かった。それから気付くのはやはり、株主による規律、という考え方がまだ日本では馴染めなくて、どうしても「お金による支配」という形で、やや否定的に捉えられがちな風潮があることだ。少し考えてみればわかるが、株主にとっての利益からすれば、経営者が事業を通じて世間から受け入れられ、顧客からリターンを受けることが最も喜ばしいことだ。

TBSとか、阪神電鉄などの経営者に対して挑まれているのは、あなたは自社の資産価値を十分に生かした経営をしていますか?、もっと顧客に対して便益を提供し、もっとリターンを上げられるのじゃないの?、今の資産価値からすれば、もっと株価を上げる経営をしてもいいんでは?、というチャレンジだと思う。 あるいは、国際的なダイナミックな動きを捉えて、事業展開をできているか、というところまで問われていると思う。

村上氏はこのようなことを言う。「アメリカの投資家に向けてのプレゼンテーションの際に、日本の経済を活性化したい、と言ったら、『お前の仕事はリターンを上げてくれることであって、日本経済に対する使命など関係ない』と言われた。自分は『甘い』と思われていた」。村上氏は楽天やライブドアのような事業会社ではないから、日本株式市場の非効率を探し出し、株価を「より適性」な高さにもっていく(一種のアービトレージ;鞘取り)ことによってリターンを得るという、まあ今のパックス・アメリカーナの世の中では全うなアプローチ。しかも、重要なことは、そうした株主の利潤動機に応えようとすれば、経営者は規律を持って、秀逸な企業を作り上げなければならない訳だから、環境や安全性、社会貢献といったことも当然の前提となる。利潤動機は、優れて規律を与えるのだ。

未だに日本人の多くが誤解しているのは不思議としかいいようがないのだが、利潤動機による規律を受けない政府や公的機関が如何に腐敗してきたか、ということを思い浮かべてみればいいだろう。市場による取引の方が、こうした公的の名を借りた取引や内部取引に比べて、ずっと規律が働くのである。品質も対応速度も、競争原理にさらした方が、ずっと高度化するのであって、それは国家社会主義の失敗で明らかになったはずなのに・・・。

加えて、村上氏はあまり言及しないが、一般的に言えば、こうしたファンドへの出資は年金ファンドであったり、民間銀行であったり、と庶民の資産に直結するのだ。我々は散々、公的年金の機能不全を目にしてきており、自らの責任で資産運用をしなければならず、その運用先が、これらのファンドなのだ。銀行にしか預金していないつもりでも、最終的にはその資金がこうしたファンドを通じて、リターンを生むのだから、儲かってもらわなくては困るのである。

さて、以上は、人類の発明である「株式会社」の基本的な枠組みなのであるが、例えばJR西日本が大事故を起こした際に、株主の責任は?、と問うたキャスターがいた。株主の責任は有限であるから、出資したお金の価値が極端に下がる、という以外に責任の取り様はない。もちろん、常日頃から経営をチェックし(取締役)、こうした大問題のないようにすべきなのだが、それは「損」をしたくないからであって、責任は飽くまで有限だ。また、有限だからこそ、リスクマネーである資本を提供できるわけだ。 では、経営者が責任を取れるか?第一義的な責任はもちろん経営者である。だが、だからといって、組織としての賠償ができて、頭を下げて回るくらいしかできないのだ。 安全基準、といった意味で、政府もきちんと規制を掛けるのだから、その意味での責任はある。 株式会社が社会的な大問題(事故以外にも、詐欺とか、情報漏洩とか種々)を起こした時、被害者からすればどうしてもやるせなさが残る。これは株式会社の限界であり、人類への挑戦である。

我々は豊かな生活を得る為に、リスクをある程度許容してきたことで、ここまで文明を発展させてきた。 個人がこのことを自覚することも必要であるし、株式会社では補いきれないリスクを管理できる制度の発明といったことが、21世紀には求められていくことになるのだろう。

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2005年10月13日 (木)

iTunes革命 「第弐章:Podcastingの未来・個人表現の未来」

Podcastingについて書こう、書こうと思っていたら、今日は、iPod Videoまで発売されてしまった。恐るべし大攻勢やな・・・・Jobs。 おまけに今日は、「IP携帯電話2007年から」、という話題もあって、ディジタル・ビジネスの進化に話題は尽きない。ネタが盛り沢山で、次々アップしていきたいところだが、今日はPodcastingについて。

Podcastingはストリーミング配信のインターネット・ラジオとは異なり、ファイルによる配信。ファイルだから、iPodにも簡単に入れて持ち歩ける。まだ、iTunesに入っている番組を直接PCで聴いているだけだが、面白いお気に入りのクリエーターが現れれば、持ち歩いて電車で聴いてしまうだろうな。今は、ブロードバンド・ストリーミングで、大前研一の週刊番組をよく見るのだが、Podcastingでも、経営ライブ的な番組をビジネス・ブレークスルーなんかから配信してくれると面白いよね。

よく言われることだが、Podcastingは音声版ブログともいえる。ブログによって情報発信し始めた人は枚挙に暇が無いわけだが、アマチュアながらDJっぽいのりで個人が番組発信することも容易に想像できる。既に、外国語学習番組は、人気のようだし・・・(e.g. ”David先生の英語リスニング・ルーム”)、CNNのようにいち早くニュース配信している局もある。だが、やはりPodcastingの可能性は、昨日まで素人だった(実は玄人はだしの)人が、情報を発信することだろう。

マス・メディアが情報支配する時代から、皆がクリエーターであり、オーディエンスであるメディア・デモクラシーの時代へ。大手も中小も、同じリストに乗ってしまう世界。フラワー・チルドレンのサンフランシスコから発信されて以来の夢が、またひとつ実現した。この夢を実現したのが、Steven Jobsだったことは当然なのかもしれない。僕らはそんな時代に生きているのだ。未来はもう未来ではないのだ。

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2005年10月 5日 (水)

ビジネス・プランの時代。 ~アフリカン・ファミリー・ビジネス診断#4

アフリカ向け中古車ビジネスのコンサルティングで、ビジネス・プランを作成中だ。例え小さなビジネスであっても、構想力・統合力・緻密性が問われ、辛く、楽しい。今は、収支シュミレーションを終えたところだが、販売計画、原価計画、運営計画、組織・人事計画、投資計画、資金調達、と数値を決めこんでいき、PL/BS/CFの複数年財務諸表に落とし込んでいく。そして、その結果を見ながら、前提とした計画値に修正を加えていく。基本はPLの損益がどうか、という点が中心だが(ボトムライン・マネジメント!)、投資と減価償却、棚卸資産とキャッシュフロー、等々BSとCFのアウトプットも見据えながら、少しずつ”美しい”、説得力のある財務諸表に落としこんでいく。「これだけ人員を抱えると、損益がきつくなる・・」など、利益を出し継続的に経営を行う為の制約条件が、徐々に明らかになっていく。アート、と呼んでもいいだろう。

一通り収支シュミレーションを終えると、次は戦略、つまりビジネス・プランの本体である部分を書き込んでいく。環境分析と自分達の機会を明らかにした後は、戦略の正当性を謳う。そして、マーケティング計画、オペレーション計画、組織・人事計画、財務計画を書き込んでいく(ストレートな文章力、説得力のある分析力)。最後はリスク管理と、アクションプランだ。収支シュミレーションで明らかになった制約を満たし、更に個性を際立たせる「華」も必要だ。成功するビジネス・プランは、読んだだけで、成功の匂いがする、という。

前職においては、毎半期、中期計画のローリングを行っていた。収支シミュレーションを緻密にやる割には、外部環境や戦略の整合性を語る部分がしっかりしておらず、あまり成功の匂いがしなかったように思う。もちろん、計画は大事だが、時間を掛け過ぎてはいけない。1ヶ月以上に上る時間を費やし、承認が出た頃には疲弊し、成果物は棚に上げて、二度と見なかったり、実行段階ですぐに方向がぶれたり、といったことは日常茶飯であった。   思うに、収支シュミレーションを通じて、しっかり戦略的方向性を打ち出せれば、十分だと思う。そして、皆の協議を通じて、「想い」を共有することが何より重要だ。

私が行ったビジネス・スクールは、ビジネス・プランが「売り」の学校で、他の科目の統合的科目、という位置づけにあった。完成した後は、識者、金融関係者、学生の前で、プレゼンテーション、で修了、という流れであり、チーム運営で苦労したが、とても充実していた。ベンチャー隆盛の時代にあって、ビジネス・プランの重要性は高まるばかりだが、ここ日本ではまだまだビジネス・プランへの理解が低いと思う。

最近、中小企業診断士の役割として、中小企業のビジネスの将来の絵、方向性をきちんと描いて上げるニーズが高まっている。つまり、ビジネス・プランのテクニックだ。巨大債務に悩む日本政府も、ビジネス・プランのテクニックがしっかりして、識者の共有知識となっていれば、こんなことにはならないで済んだと思う。ビジネス・プランをしっかり教育プログラムに取り込んでいくこと、喫緊に必要な課題ではないだろうか。

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2005年10月 2日 (日)

爽やかなオーストラリア

前のバリのテロ事件の話で、オーストラリア人に触れたが、私にとってオーストラリアは縁のある国になった。それは2002年から2003年にかけて、MBA取得の為に滞在したからだ。MBAは現地の人は、「エム・ビー・アイ」と発音するのだけど。イギリス人は昔旅行した感じから、「お高い」感じを抱いていたが、オーストラリア人はフレンドリーだった(アメリカ人にもまして)。ビジネス・スクールの中は、数少ない私立大学ということもあって、海外組ばかりで、現地人と接触する機会は少なかったし、そもそもBスクールに来ている人間は鼻持ちならないのが普通だけど。一説には、イギリス移民といっても、元々ロンドンで囚われたウェールズやスコットランドの人たちの子孫なので、イギリス(イングランド)のお高さ(差別意識も強いんだよねえ・・)とは違って、優しい、ということらしい(真実は定かでないが)。

10代の頃学校で習った時は、オーストラリアといえば「白豪主義」。近年は、日本ではハワイに次ぐリゾート地、といったところか。実際行ってみて、訳あって入院までする羽目になり、現地の人と触れあったり、本を読んだりすると、とても爽やかな国だなあ、という感想。BRICsには入らないまでも(人口少ないからねえ)、21世紀の社会を先取りするような先進国であった。数年前から産業政策として、製造業ではなく、サービス業に舵を切った。教育、投資、福祉、観光等々。確かに、こうした分野に見るべき点が多い。ニコール・キッドマンとラッセル・クロウもオーストラリア人だ・・・。

マルチカルチャリズムに代表される現代オーストラリア社会を教えてくれるお奨め本が杉本良夫著「オーストラリア -多文化社会の選択」(岩波新書)だ。

著者は既にオーストラリアでの生活が27年になる大学教授で、以前から「オーストラリアから見ればアメリカと日本の価値観は相当似ている」と主張されていた.本書は2000年の最新レポート、といったところだが、医療・高齢者ケアや、行政とのつきあい方、新しい結婚のあり方、アボリジニとの和解、などから、この国が目指そうとしている社会がとても素敵に感じる.日本の息苦しさとは正反対だ.オーストラリアの生活の質の高さは、住環境だけではないよ。

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バリでまたテロ事件 10.01

アル・カイーダ系のテロはまだ終わらない。10月1日、バリ島でまた白人ターゲットと思われる爆破テロ事件が2件起こった。この夏訪れたクタとジンバランの街がやられた。これらの街で白人といえば、オーストラリア人が大半なので、以前のディスコ爆破と同様、彼らが狙われたのではないだろうか。組織名は忘れたが、アル・カイーダ系のインドネシア・イスラム系テロリストの仕業と考えるのが妥当か。

イラクではテロが続いている。日本ではメトロの警戒が常態化し、ほとんど意識されなくなってしまったが。 イスラムの先鋭化した人々の「恨み」を思う時、気持ちは複雑だが、不幸の連鎖はどうすれば断ち切れるのか。

穏やかなバリの人々と、犠牲になったオーストラリア人に黙祷。

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2005年9月25日 (日)

ロシア・東欧、インド絶好調~投資信託実績報告。

2003年のゴールドマン・サックスの長期経済報告書によって命名されて以来、すっかり経済には欠かせない用語となった感があるBRICs(新興4大国)である。国の成長率は、労働力の供給が続く限り、上昇を続ける、という説を聞いたことがあるが、そうだとすれば、4カ国の中でもインドと中国の潜在力は頭を抜いており、ブラジル、ロシアとは分けて考えるべきというのはコンセンサスを得つつあるようだ(例えば、先日のビジネス・ウィーク誌のインド・中国特集)。

一昨年から昨年は中国株に人気が集まり、他聞に漏れず、幾つか購入してみたが、リターンはぼちぼち。本格的BRICsファンドも昨年から登場、また今年になってからはインド投信、ロシア東欧投信が次々登場し、長期保有を前提に投資してみた。異論はあるようだが、長期分散投資ということであれば、ユニーク・リスクがほとんど解消され、マーケット自体のリスクにだけ注目しておけばいい。長期的な経済成長率がほぼ確実視される場合は投信の長期保有はリスクの小さい儲け話、という訳だ。もちろん、信託報酬は払わなければならず、ここが投信の最大の欠点なのだが、日常はビジネス・パーソンであれば、頻繁に海外の企業動向を調べる訳にもいかず、まあ必要経費と考えざるをえない。

インド投信、ロシア東欧投信とも、年前半はパッとしなかったが、6月頃から上昇の波に乗り、現時点でのリターンは以下のようになった;

○インド投信: 37%,

○ロシア東欧投信: 31%,

○BRICs投信: 15%.

インドはソフトウェアに代表される新興企業、財閥系企業共に業績よく、国自体の経済の熱狂が感じられる。PuneやBangaloreといった街もまだまだ発展しそうだ。いつの間にやら、インドの大都市はイギリス名を脱し、いよいよ近代化へとテイクオフした印象だ。

東欧、特にハンガリー、チェコ、ポーランドは人材、インフラ共に充実しており、EUの生産拠点として安定成長中。ロシアは石油価格の上昇に伴うエネルギー系企業の業績上昇が大きいようだ。

中国は少しクールダウンの時期かと思うが、2008年の北京五輪に向けて、来年~再来年あたりはまた過熱する時期があるのではないかと思う。

世界はイデオロギーの時代を超え、旧第三世界の経済的テイクオフが至るところで見られる。TVTと呼ばれるThai, Vietnam, Turkeyは人口も大きい急成長国だし、中央アジアやアフリカを見ても、しっかりした消費者が育ちつつあるのを感じる。政治を考えるにも、企業戦略を考えるにも、21世紀の新しい枠組みであるこうしたEmerging Economiesの爆発を前提として分析したい。

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2005年9月24日 (土)

iTunes革命 「第壱章:Always iTunes!」

iTunesは凄い。でも、何が凄いのか・・・しばらく頭をめぐらせている。大音量で、今でも新鮮なUK Soul/New Waveのサウンドを聴きながら。

まずMacintoshでもさんざん言われていたように、圧倒的なユーザ・フレンドリーの追求。iTunesは、まだ時々迷うけれど、これだけ簡単に古今東西(!?)の音楽やNarationがゲットできて、そのままプレイリストになってしまい、また編集も自在なのは、さすが。 著作権を超えて、これだけ多くのアーティストとその作品をアップロードしているのも凄い。iTMSjpは、これからに期待しよう。

初めて聴いて以来、ダイレクトなデジタル音にも驚いている。iTunesは独自のファイル・フォーマットだと思うのだが、Jobsは余程音質にこだわったに違いない。アルバムの曲がバラ売リされているのも凄いな~。一曲$0.99、いや\150でひとつづつ買えるなんてね。ここら辺り含め、iTunesの成功物語が出版されるに違いないと思うのだが、誰か教えてくれないかな・・・? それにしても、Soul II Soulのグランド・ビートの身体全体での響き方といったら・・・、気持ちいい~。

iTunes革命は、初めはiPodというスタイリッシュなデジタル音楽プレーヤーをAppleが出した、程度にしか感じなかったのは私だけか?iPodはShuffle, Nanoと進化を続けているが、言うまでもなく、iTunesというプラットフォームを運ぶ「箱」と考えるべきだ。その箱自体が、これまたクールでスタイリッシュなものだから、こっちの印象が強くなるんだけどね。Macは当初ドイツの(Kellogだっけ?)デザイン集団がいて話題になったんだけど、今は誰がやっているのかな? プロダクト・デザイン界では当然話題だと思うので、知られているはずなのだけど、アンテナが低くて・・・、誰か教えて。

iPodが「箱」に過ぎないのは、今、携帯に搭載されたり、車に搭載されたり、という流れをJobsが推進していることからも判る。彼は、iTunesというシステムを日常生活に継ぎ目無く(Seamless!)エンジョイできる世界を作ろうとしている訳だ。

それから音楽ビジネスや、電子ガジェット業界、あるいは著作権を仕切る人間達から、個人へと「音楽」を解放しつつある。それはフリー・ソフトウェア(Richard Stallman!)にも似た過激な平和な思想だよ。

通信・メディア業界は、ここ十年、いつもブロードバンドによるコンテンツ配信の夢を描いてきた。それは、でも、「夢」物語のように聞こえていたものだ。林檎は、Steve Jobsは、ビジネスマンBill Gatesの間隙をついて、Jeff Bezosでも遠く及ばなかった、カウンターカルチャーの夢をついにひとつ叶えつつあるのだ。

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2005年9月23日 (金)

iTunes革命 「序章:シリコンバレーとカウンター・カルチャー」

判ってはいたが、iTunesという新しいプラットフォームを実際に使い始めて、驚嘆している。それは・・・、LPからCDへ、Internet革命(e-mail/browser)、Amazonショック、・・・と続いているデジタル革命の最新流行であり、我々のライフスタイルを確実に変えてしまうものだ。これから折をみて、iTunesの記事を書きたいと思うが、まず2000年に私的な集まりで発表した際の文章をもって、序章としたい:

“60年代には憧れに近いものを感じてきた.青春を燃やし尽くして「体制」に楯突いた熱い時代.それは初めて世界の同世代が同じ感情を共有した輝かしい時でもあった. だが、燃え尽きた戦士達は沈黙を強いられ、70年代の後退と、80年代の虚栄を過ごさねばならなかった.その中で生きてきた僕は、世界の至る所に落ちている60年代の反体制文化が生み出したものに出くわし、心躍らせてきたのだ. 今回の発表の動機はパーソナル・コンピュータとそのカルチャーに生まれながら宿る「反体制」を少し詳しく見てみたい、ということがきっかけとなっている. 

少し回り道を許して欲しい.僕の心を初めに捉えた「60‘s」は、フランスのそれではなかったかと思う.強固な中央集権体制とは裏腹に(いや、それ故に)、19世紀以来、あらゆる前衛の発信源であったこの国は、強烈な60年代体験を持っている. 1968年、五月革命.そして、スタイリッシュなヌーベル・ヴァーグの映像.J.デリダ、M.フーコー、ドゥルーズ=ガタリら綺羅星のような思想家の重厚で、鮮烈な哲学書.彼らは言うまでもなく、20世紀の新しい世界観、「情報」も視野に入れていた.

反体制文化が契機となり登場したものは多い.サイケデリック、ドラッグ、ロック、フリーセックス、エコロジー、ニューエイジ、反戦、人種差別撤廃、ウーマン・リブ、自己変革等々. 人間の解放を謳ったこの時代の文化は既に体制にも取りこまれつつあったり、個人のライフスタイルに取りこまれてもいる. 当時のインパクト(毒気)は全く失せているといっていいだろう. 他ならぬパーソナル・コンピュータも、反体制文化が生んだものであり、コンピュータ開発の主流から生まれた巨大なコンピュータが徐々に小型化されてこの世に生まれてきたものではない. 60年代にドロップアウトした若者達によって、偶発的に生まれたものといっていい. ビジネスでしか使わないと感じることも少ないが、本来的には個人の解放の為のツールだ. 「個人の解放」とは大袈裟かもしれないが、体制、すなわち権力との戦いの為のツール、それがパーソナル・コンピュータの出自である.
 
今日の話で触れるフォン・ノイマン、ヴァネバー・ブッシュ、マクルーハンといったコンピュータ/メディア・テクノロジーの泰斗達は皆、「人間の能力の拡張」ということを唱えた.これはコンピュータがパーソナル化する以前は、戦争・科学技術・ビジネスに資する「体制」の思想であったが、60年代を経て(いや、50年代のハッカーの時代が起源というべきかもしれない)、個人の自己実現のツールとなった. 更に、「夢見る」ビジョネア達によって、パーソナル・コンピュータは、「ツール」の域を越え、「ファンタジー」に進化するものまで現れた.彼らにとって、パーソナル・コンピュータは、ドラッグの代わりでもあるのだ. 80年代に登場する「サイバー空間」、「バーチャル・リアリティ」などのコンセプトは、パーソナル・コンピュータに新しい可能性を夢見させた.
コンピュータの胎動の時代からネットワーク技術への取り組みは続けられてきたが、その偉大な果実:インターネット、が90年代に登場したことによって、パーソナル・コンピュータは、その本来的なパーソナル・メディアとしての威力を爆発させようとしている. 民主政治、ビジネス他、ありとあらゆる場面において、我々はパラダイムの変化に直面しつつあり、21世紀は「インターネット」の世紀としてスタートする. 

今回の発表に際して、資料にあたって発見したことは、アメリカの権力の中から鬼子のように出現してくる「民主化・個人化」のドライブである.逆説的であるが、パーソナル・コンピュータの元となる技術はほとんど全て体制から出てきたものである. だが、言うまでもなく技術的可能性は、何かを成し遂げる際の必要条件でしかない. 「世界を変えるのだ!」という信念の元に情熱を注いだ男達がいたからこそパーソナル・コンピュータが生まれたことだけは、疑う術もないのだ.(了)”

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2005年9月21日 (水)

今更ながら、ストップ・ザ・小選挙区制度!

今日はTVで新人議員が初登庁していく様子を取材していたが、何だか質が低いな~、という印象が増すばかり。今に始まったことではないし、私は都知事に青島幸男が当選して依頼、「大衆」という選挙民と総体としての日本人というのを信用できなくなっているので、そんなもんと思っているのだが、それにしても酷い。だいたい「これから勉強する」って、どういうことやねん。この質の「最」低化の原因のひとつは、小選挙区制ではないだろうか。

そもそも獲得議席数上は与党圧勝、となっている今回の総選挙であったが、総得票数ではほぼ互角。

   (議席数) (得票数)

<比例代表>

与党 100 3488万(51%)
野党  80 3294万(49%)

<選挙区>
与党 227 3350万(49%)
野党  55 3133万(46%)
無所属 18  324万( 5%)

俗に言う「死票」が選挙区において大量に発生しているだけなのだ。こんなのおかしい。

加えて代議士の質的低下は、この制度に内在している欠点である。そもそも市長選と同じ規模の選挙区でしか競争しないのであるから、国家を担い他国と戦略的な外交など望むべくもないのだ。90年代半ばの日本新党他による連立政権と自民党が妥協した「政治改革」から生まれたこの制度は、今回の小泉劇場とやらに見られるがごとく、大衆煽動型の欠点が目立つ制度でしかない。既得権益に安住するマスコミは、今回の結果を批判的に分析する意志が決定的に欠落しているし・・・。

本当に、公務員削減の前に、議員削減をもっと進めるべきだ。更に言えば、地域分権により、政策の中心を地域における財政・産業・教育・防災政策に移すべきだし、国会議員は外交・防衛に特化していくべきだ。そんなもん、今時日本くらいだよ、こんな中央集権やっている国は。民主党にはこの流れで自民党との差異を際立たせてもらいたいもんだ。

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2005年9月18日 (日)

スターバックスとLOVE・LOVEで感じた「真実の瞬間」

「真実の瞬間」はヤン・カールソン(SASスカンジナビア航空を建て直した経営者)の著作のタイトルだ。彼によれば、顧客と接する平均15秒間、この短いコンタクトの時間こそが真実の瞬間、すなわち顧客にとって、SASを判断するすべての時間だ。どうです、その通りだと思いますよね・・・・、でも企業の中にいると、こうした仕組みを作ることが如何に難しいか判ります。ポイントは、従業員の選択、トレーニング、権限委譲、ですね。

先日、消費者として連続して「真実の瞬間」を感じることができた。それは、おなじみスターバックス・コーヒーと、ブランド物の量販店「LOVE・LOVE」である。スターバックスは、バリ・コーヒーを淹れるのに丁度いいコーヒー・ポットを探しているところ、声を懸けられ、使い方からコーヒーの種類の違いによる器具の選択から、産地によるコーヒーの種類から、色々と教えてくれ、試飲までさせてもらった。別にキャンペーンをやっている訳ではないよ。聞くと、皆定期的に勉強会をやっているらしく、まだ詳しい人もいるらしかった。コーヒーも原点に帰ってみれば、大航海時代・プランテーション時代から、西洋人が「第三世界」から持ち帰り、必需品となったもの。薀蓄好きの人間には、ワインに劣らないディープな世界が背後にあり、それを感じさせてくれるんだな、これが。楽しい時間でした、山田さん、有難う。もちろん、コーヒー・ポット、1400円もするのを買わせて頂きました。

LOVE・LOVEは、家電の量販店「セキド・グループ」がやっているブランド量販店なのだが、たまたまコロンを使い切ってしまったことを思い出し、テスティングをやっていると店員が話し掛けてきたので、色々聞いていると、随分丁寧に対応してくれた。香水も、コーヒーと同じで(強引過ぎ!?)、薀蓄の随分ある世界なので、トップ・ノートが何で、ミドルが何で、という解説付きの雑誌の記事を見せてくれたり、後で自宅に送ってくれたり、した。実は伝票を忘れたから送ってくれたのだが、手書きの手紙と別に見つけた記事も同封してありました。吉田さん、有難う。また買いに行きます。

以前の記事でも書いたが、企業は株主の為に、従業員の為に、債権者の為に存在している訳ではない。まず顧客の為に存在していて初めて、株主、従業員や債権者の為にも存在意義が生まれてくるのだ。いつか、顧客に「真実の瞬間」を感じさせることができる企業を産み出してみたいと思う。同じ航空サービス産業でありながら、「真実の瞬間」から遠ざかってしまったJALなんぞ、再建してみたいものだ(!)。

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2005年9月12日 (月)

選挙で争点にならなかったこと。

変人・小泉の圧勝という滅入る結果になり、まあ変革が着実に進めばいい、という想いだけである。これまで、あまりにも有名無実の「改革」ばかりで、説明責任も何も果たそうとすらしなかったこの人に、破壊力だけで改革ができると国民が信じたのだから、まあ民主主義の原則に従うしかないわな。

ところで、郵政改革という名の財政投融資改革、また財政改善(再建?あまりに遠くて非現実的)、年金改革、少子化等々、課題山積であるが、争点にすらならなかった地域分権が最も重要だと思える。首都圏に住んでいて通勤地獄が政治課題にならなくなったのも不満だが、地域分権はただそれだけではない。 地域に財政と立法権を移すことで、規制緩和をどんどん進め、国際競争力を高めることが何にもまして優先する。 教育も各地域が大胆に独自路線を進めるべきだ。一億二千万人が同じルールでこのまま世界に遅れることを見過ごすことはできない。

課題は本当に多い。だが、緊急出血を止めた後は、人間に備わる自律の本能を発揮させるべきだ。身動きの取れなくなった中央政府・官庁の集権を速やかに地域に移し、自律的にやってみればいい。その際の方向性は国際競争力を高める、これしかない。各地域が産業を興し、世界と勝負できるように舵を切ってほしい。同じパイの切り方をどうするか、今の財政も年金も財投も、そうした後ろ向きの議論でしかない。パイを大きくする方向に何とか持っていって欲しい。今となっては唯一の方向は、地域分権で、勝手にやらせる、これしかない。

アングロサクソン・北欧の改革から遅れること15年超、国を離れても生きていけるように準備は進めてきたとはいえ、母国を何とかして欲しい気持ちは強くなるばかりである。

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2005年9月11日 (日)

Book Review: 「永遠の旅行者」(橘玲著;幻冬舎;2005年)

現代思想の源流であるニーチェ、リゾートと都市のライフスタイル、見えない者を追い敵と闘うハードボイルド、記憶喪失と統合失調症、オフショアを使った「節税」スキーム、そして村上春樹・・・、いや面白かった。
「ゴミ投資家シリーズ」で著者らが再三説いたのは、この倫理を失った国にお金を毟り取られることに抵抗しよう、という思想だったと思う。これは我々の世代の中で啓蒙された連中が共有する想いだ。だが、それは別の意味で高度成長の恩恵を受けた世代の「甘え」でもあるかもしれない。著者はこの小説を書くにあたって、それを避け、主人公の老人に「この国に税金を払わない」強烈な動機を与えた。それは奇しくも村上春樹の代表作でも舞台になったシベリアだ。
たまたま今日の新聞でも取り上げられていたのだが、シベリア抑留の問題は、アメリカの原爆投下にも匹敵するロシアの悪行であり、日本政府の国民に対する罪だと思うのだが、この国の白痴な政治家とジャーナリズムはほとんど問題とすることが無かった。スターリンのシベリア強制労働は国際的にはアウシュビッツにも匹敵するとも言われるのに、だ。
人間という生命の極限状況で生まれた感情の尊さに想いを馳せながら、読了した。

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2005年8月20日 (土)

モダン・ポートフォリオ理論とオプション価格理論

既に3年が経過してしまったが、MBAを履修しながらMFin(ファイナンス修士)のダブル・ディグリーに挑戦していた。現代のファイナンス理論を構成する核はあまり多くはなく、同じ理論を少しずつ違う角度から学べて、かなり知識として定着したように思う。まだファイナンスを履修し始めて2学期目に以下のような報告文章を書いていた;

ここまでファイナンスを学んできて、まぎれもない真理と思われるものが二つある. ひとつはPortfolioセオリーの基本である「ユニーク・リスクは、分散できる」という真理、俗に「卵は同じバスケットに入れるな」というセオリーである.もうひとつは、「オプションを持つことは、それだけで価値がある」という真理. これは、いまやリアル・オプションとして、企業の投資判断における選択肢(つまりオプション)を持っていることは重要、という分野まで拡大しつつある.この選択肢を持つ価値は、すなわちBS式でざっと計算できる、という訳だ. この二つの利用範囲は、限りなく広いと思う.(南半球MBA通信02年7月-抜粋)

ファイナンスをかじったことがある人なら有名な話だが、モダン・ポートフォリオ・セオリーからは、マーコビッツ、シャープが、オプション価格理論からは、ショールズ、マートンが、ノーベル賞を受賞している。これに、資本構成のMM理論を打ち立てたモディリアニとミラーのノーベル賞を加えれば、ファイナンスの3つの核となる理論となる。以前書いたランダム・ウォーク理論も、オプション価格理論として結実している、と考えることもできる(かなり強引だが)。

ファイナンス・コースを構成する科目は、企業財務(コーポレート・ファイナンス)、定量分析、証券投資論、資本市場論、国際金融論、デリバティブ理論(金融工学)、パーソナル投資論(FPみたいなもの)等あったのだが、核として上記の3つが貫いており、何度もリピートして学ぶことになる。中でもポートフォリオとオプションの基本的な考え方は、直感的にも判り易く、また色々な場面で応用が利く考え方である。21世紀に生きるビジネス・パーソンとしては、必須知識と言っても過言ではない。

近頃、山崎元を何冊か纏めて読んでおり(これはまた別途書きたい)、3年前の新鮮な学ぶ喜びを思い出したのでした。

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2005年8月16日 (火)

TOC、あるいは無駄な仕事にエネルギーを掛けていませんか?

企業の変革期の時代にあっても、伝統的な企業では未だに変化できないことが多い。それを感じたのは勤務先での目先志向(マイオピア)が酷く目に付いたからだ。それはあたかも対処療法を繰り返し、歯医者に通院するようなものだ。求められるのは、根本治療と日常に組み込まれた習慣である。

企業の成果は期毎の業績(それは部門によって、売上だったり、利益だったり、キャッシュ・フローだったり、EVAだったりする)で計られる。従って、まだ変革を終えていない企業では期末になると製品の押込み販売とか、在庫の積み増しといったことが行われる。こうした目先の業績を嵩上げする為に、膨大なエネルギーを掛けて交渉に取り組む。ごり押しは従業員の気持ちも萎えさせるし、社内部門、関連会社、また取引先との関係を悪化させることもまま起こる。例えうまくいったとしても、またぞろ翌期末になると同じことを繰り返す。ビジネスパーソンであればどこかで見聞きした憶えがあるであろう。特に、四半期毎にこれを繰り返すようになると、年中こうした「無駄な」業務に忙殺されることとなる。

目指すべきは時期的要因を乗り越え、日常的にハイテンションを保つオペレーションの仕組みであろう。普段からこうした仕組みがビルトインされていれば、月末や期末になって慌てる必要がなく、また慌てても打つべき手がないのだから、とっとと諦めて、次の手を考えることができるだろう。あるいは、より長期的、より重要な課題に取り組むことができるだろう。例えば、押込み販売について言えば、期を超えて考えれば販売量は同じなのだから、絶対的な需要の減少や市場の競争要因を徹底して分析すべきであって、とりあえずその期の目標を達成する為に販売を嵩上げすることにエネルギーを費やしていたら、分析する余裕などないのではないか。

こうしたことを鮮明に意識し始めたのは、やはりTOC(制約理論)を学んだことが端緒だ。TOCは部門の最適化を避け、全体最適を目指す経営思想である。結局、目先の業績にこだわり、無駄な業務に汗をかくのも、部門の業績を上げることに邁進するからに他ならない。ただし、TOCがスケジュール管理(ドラム・バッファ・ロープ)、在庫管理(ボトルネック・マネジメント)、あるいは原価管理(スループット・アカウンティング)等で喝破しているように、こうした動きは全体から見れば、無駄どころかマイナスの作用を及ぼすことが多い。

もちろん、TOCに教えられるまでもなく、そもそも目先を乗り越えても仕方ないと思われる向きの人は多いだろう。私も、いやいや、同じようなことを気乗りしないままやってきたし、今でも残念ながらこの状態から解放されていない。もちろん、企業の存亡を掛けたコミットメント達成の為に、いざという時の頑張りということは有り得るし、否定するつもりはない。が、そうであったとしても優先すべきは根本治療と習慣化のビルトインである。少なくとも経営者はそうした意識で経営に取り組むべきだという信念は揺らがない。

*TOCに関してはゴールドラットとの出会いを初め、別記事で述べてみたい.

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2005年8月14日 (日)

バリ、貸席リゾートの魅力

休暇でバリ島に行ってきた。橘玲ばりに、マイレージを使った旅行だ。その分、宿を厳選でき、リーズナブルでゆったりしたヴィラを2軒使え、とても充実した休暇だった。

ヴィラの魅力に気付いたのは、オーストラリアに留学中のことだ。現地ではコンドミニアムというのだが、長期滞在用にキッチン、ランドリー、複数のベッドルームが完備されており、通常のホテル・ルームと違って、ゆったり過ごす事ができる。オーストラリアでは、タワーのフロアが仕切られており、プールは一階に共有でひとつということが多いのだが、バリのヴィラは敷地で区切られており、プライベート・プールを有しているものが多い。また、熱帯バリでは、プールのある「外」と、ベッドルームのある「内」の境界がリビング、ダイニングになっており、とても開放的にできている。バリのヴィラ・デザインは、結構有名であり、アジア的モダン・センスが90年代より、しばしば雑誌の特集として組まれたいたが、実際眼で、肌で感じることができた。

アマンは、最初のリゾートであるアマンキラ初め、現在はメイン・ヴィラだけでも3箇所がバリにある。近年はウブド周辺の田園ライフが有名になっており、これを代表するワカ・リゾートも超一流の仲間入りか。これらに対抗するように、米系のリッツ、ヒルトン、フォーシーズンズ、インターコンチ等は南部の半島部に集中しているが、これ以外の独立系のヴィラがやはり面白い。今回私が泊まった2軒は、モダン&スタイリッシュなものと、伝統的カントリー・スタイルなものと、対照的ではあったが、共にオーストラリア人がオーナーということで、成る程、こうしたリゾートのデザイン及びビジネスに関しては彼らは得意だ。

かつての金満日本のプレゼンスも高く、タクシーの運転手初め、リゾート関係者は、英語は全員喋られるのは今更驚かないにしても、日本語を操る現地人が非常に多い。日本人がオーナーシップを持っているのは、ショップ、レストランが幾つかある程度だが、”お客さん”としての存在感はアジアの中では断トツである。米文化、麺文化の共通性か、やはり食事のマッチングということでは、同じアジア人としてとても親和性が高い。バリ・ヒンドゥー教というのも、なんだが八百万の神の日本の伝統宗教と似ているような気がして、建物の入り口に供えてある食べ物を見ると、落着いたりする。

ストリートや建物の清潔感を考えると、まだ10年前の中国のような所が多いが、その分、物価が安いのが大きな魅力だ。欧米、オーストラリア、あるいは日本からの資本を受け入れ、更に伝統の文化を磨いている。今後は、中国やシンガポールの資本もどんどん流入してくるだろう。現に、まだまだ道路整備中であったり、建築中の建物が多い。こうした貸席経済は、負の面もあるだろうが、バリに関する限り、世界に稀なるリラックス・リゾートとして、開花しているように思える。

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2005年8月 3日 (水)

プロジェクト・マネジメントと変更コントロール

日常業務をやっていて、難しいなと思うのは、変更をマネージしていくことだ。今日もチーム内の週次の打合せで、アクションを羅列するだけでなく、プロセス、あるいはマイル・ストーンを示そう、という話をしたのだが、「それも大事だが、一旦立てたマイル・ストーンなど、必ず日々変わっていくのだから、この変更をマネージするのも、更に大事だ」という趣旨のことを言った。往々にして、時間軸を明らかにし、マイル・ストーン・チャートを描け、ということは指摘され、これだけでも案外バーは高い。だが、ここまではできても、更に大きなマネジメントの課題は、日々の変更を管理していくことである。

以前も、PDCAのサイクルを回すことの難しさを取り上げた。日常的には、案外、P→Dですら、できていないケースが多いのではないかとも言った。更にできていないのが、P⇔Dのインタラクション、つまり変更管理である。これをかなりできるようになるだけでも、通常のビジネスマンから大きくワンランク上がることができるのではないだろうか。全くの直感であるが、変更管理ができている国内のマネジャーは、50人~100人に一人くらいかな。

プロジェクト・マネジメントのスタンダードであるPMBOK Guideの2000版を見たが、最初の項である「統合マネジメント」に、「統合変更コントロール」が設けてあり、統合マネジメントに続く各論には以下のような項がある;

スコープ管理: スコープ変更コントロール.

タイム管理: スケジュール更新、改訂.リベースライン.

コスト管理: コスト・コントロール

また、リスク管理の大きな課題のひとつは、多様な要素の変化によるリスクを管理することにあることは、容易に想像できるだろう。

スケジュールだけ、コストだけ、であれば、比較的変更をマネージすることも容易だ。しかし、実際はこういった複合的な要素がからみあってくることが多く、またこれら多様の関係性を、如何に単純化し、コントロール可能なレベルに落とし込むか、というテクニックも必要になる。ここまでくると、一般的なセオリーよりも、経験や洞察からくる能力ということになるのだろう。

また、開発といった比較的見通しのよいプロセスであれば、変更のマネージも取り組み易いが、営業的なプロセスも含んだ全体的なものとなると、人間関係的な不確定要素が混じりやすい為に、変更管理のマネージの困難性は格段に増してしまう。

変更を管理することは、すべてのビジネス・パーソンが直面する課題であり、マスターすることによる効果が大きいことから、いつか理論化の試みをしたいと思う。これと平行して、バラツキを管理する統計的なテクニックも身につければ、鬼に金棒だろう。

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